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「技術も想いも、全部ここに。」

WEBデザイン・データ入力・チラシ制作など、できることをチームで。
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読書会に参加して気づいたこと

こんにちは、利用者Sです。   実は私、読書会を主催したことがあるんです。ネットで告知をして人を集めて……って頑張ったんですけど、全然人が集まりませんでした。自分を含めて四人でささやかに読書会をしたのを覚えています。  その時に、読書会をしてびっくりしたんですが「読書を食事と同じように考えている人がいた」んです。どういうことかというと、食事のように習慣的になっていて読書に目的を求めていなかったんです。  私は本を読む限りは何かを吸収したい、という願望があったので「本と出会ったきっかけ」(過去)「本から学んだこと」(現在)「人に伝えたいこと」(未来)のように「本を読むことで人に広める」ことを前提として読書会を考えました。しかし、その人は「本を読む」という行為ですべてが完結してしまうらしく、別に本を読んで何かしようとか、そのようなことは考えていないらしいです。僕は度肝を抜かれましたね。  本を読むことは話題作りや勉強などになります。しかし、それらのような生産的行為でなく、消費に徹する。そんな人もいることは想定もしていませんでした。今まで「誰かに伝える

落ち込んだときに気づいた自分の弱さ

こんにちは、弱い人って何でしょうね。ちなみに、私は自分の事をすごく弱い人間だと思っています。決して強く生きている方ではありません。強い人たちは他人さえも巻き込んで突き進んでいきます。一方で、私はそうかと言えばそうでもない。良くも悪くも私は孤独です。  今まで自分を救ってくれた人はいました。しかし、その人さえも突き放してしまうのが私の弱さです。他人の力を借りることを自分の力だと思えないところから直さないといけないのに、自分ひとりでやり遂げなきゃと変な責任感を背負って生きています。  道具を使うのだって卑怯です。ただただ、自分の能力だけで戦いたい。そう願ってきたから、私は文章を書くようになりました。文章は自分の脳から生み出せる。書き留めておけば、何回でも反芻できる。何よりも、他人に及ぼす力が強い。  即興的に動くのは苦手なので、弁達者にはなりませんでしたが、こうして文章を書いていると自分との応酬にどこか酔いしれてしまいます。何か失敗すれば即座に罵ってくる自分ですが、冷静に対話してみると思ったよりも人間的なんです。その人間性って、弱さから生まれるんじゃ

「できない」より「やらない」を選んでいたと気づいた日

こんにちは、私は精神障害を持っていると診断されており、復職への道筋として作業所に通っています。ただ、実際に通ってみると思ったよりも仕事って大変です。実際の職場だったら許されないような遅刻や欠勤をしたこともあります。もちろん、服薬調整とかの関係もあって体調を崩したわけですが、まだまだ社会復帰への道は遠いなと感じますね。  そんな私から見て、「できない」という言葉の曖昧さは敵になることがあります。それは本当に能力的にできないのか、あるいは無理をすればできるのか、無理を続けられるのか。そのような問いを投げかけられた時に「今回の失敗は出来なかったのか、しなかったのか」と悩まされることがあります。  「しなかった」という言葉は実にシンプルです。事実を示すだけですから。ですが、「できない」という言葉は可能性を含む言葉です。可能性なんて実現してないんだから考えても無駄だと思ってしまうときもありますが、改善するきっかけになるのも事実。「できなかった」と言い換えて新たな挑戦を始めるのも悪くありません。  私はこれまで様々なことを「できなかった」と思っています。主体

書道や字を書くことで落ち着いた話

私は幼いころから習字に通っていて、筆を持つことが好きです。何なら、ボールペンよりも筆の方が表現の幅が広いので良いとさえ思いますね。太さの抑揚やカスレなどの表現がボールペンでは難しいので、その分、形の良さが問われるのが辛いです。私は、器用ではないので形を整えるのは得意じゃありません。なので、形が悪くても抑揚やカスレでごり押しできる筆は大好きです。  ところで、書道ってもう一つ、面白い効果があるんですよ。それは自分のつぶやきを表面化させる効果です。何を書くか、どう書くか。それを考えるのは自己表現の一環です。例えば、「生」という字を書くときに一画目の払いを短く太くしたらどうなるでしょう。どこか心臓のような重たさを感じさせるように私は思います。逆に三画目の縦線を長くひょろひょろさせてみたらどうなるでしょう。しぶとく生きる雑草の命のようなイメージが生まれるように感じます。  そうやって遊んでいるだけでもストレスを発散できるんですよ。絵はどこか忠実に描きたくなる部分も大きいかもしれませんが、字は忠実に描くことだけがすべてではありません。(まぁ、それは絵にも言

絵を描いたら頭がスッキリした体験

私は仕事でブログのアイキャッチ画像を作成することが多くあります。その時に用いるツール、キャンバにはたくさんの写真や画像が用意されていて、自分の感性に合わせた画像を作ることを支援してくれています。  そんなデザインの作業なんですが、たまに私が不調な時にやると「今、あなたは寂しいんだね」と言われるようなデザインになることがあります。仕事としてはすごく失格なのですが、ただ、そうやって自分の気持ちをデザインで表現するのはすごく気持ちいい事なんです。  実のところ、ちょっとタイトル詐欺で、絵を描くことはめったにないんですけど。ただ、こうやって画像を組み合わせるだけでも自分の気持ちが表わせるというのは画期的な発明だと思います。過去にはシール帳というものも流行ったそうですが、納得がいきますね。既製品であろうと個性が表現できるというのはすごく面白いです。  ただ、問題があって。それは、お題を作ることが難しい事です。特に、気持ちがもやもやしている時に、お題を作るのは難しいのが事実です。なので、調子がいい時に「こんな画像を作ってみたいな」というアイデアが浮かんだらメ

オフラインの時間の心地よさ

実は、私、スマホを持っていないんです。いまだに折り畳み式の携帯電話を使っているんですよ。ちなみに年代は二十代です。ちょっと異色ですよね。  周りの友達は分かり切ったようにスマホを使っています。だけど、私は今の生活に満足しています。というのも、自分がスマホを持つと自分を大事にできなくなるからです。  私はSNSがすごく苦手です。特にDMと呼ばれるような1対1のツールが苦手で、連絡が来たらとにかく早く連絡を返そうとしてしまいます。それは仕事中であろうと、です。  なので、連絡が来ていないか不安になることも多かったし、話始めると話の方が楽しくて色々なことがおろそかになっていたので、趣味とかもまともに進まなかったという過去があります。  趣味が出来なければストレスが溜まっていきます。私はコミュニケーションが一番の発散ツールであるとはいえ、趣味でしか晴らせないストレスもあるのを感じます。なので、趣味の時間を確保する必要がある……。そうなって手にしたのが折り畳み式携帯でした。  折り畳み式携帯はSMS機能はありますけど、原則的に使わないようにしています。本当

イライラしたときの切り替え方

こんにちは、最近私はすごくイライラしてるんです。何故かっていうと、自分が嫌いだからです。何をしても満足いかない自分にもすごくイライラするし、だからといって何もしないと自分が無価値に感じてイライラする。そんな状態が長く続いています。  たまによくなる時があるのですが、その時には決まって脳が思考を放棄しています。ただ、これは悪い意味じゃなくて、邪念の方に施行することを放棄してくれているのでいい事なんです。  今日は比較的、私は悪い方向への思考を捨てられているので実際の体感で話すんですけど、悪いように考えない時は基本的に必ず「できた」と思えることが一つはありますね。素直に自分の努力を認めることが出来るときは調子がいいんでしょうね。逆を言えば、自分の努力さえも小さく見えてしまう日は休んだ方がいいのかもしれません。  最近、私はネットで知り合った人にこう言われました。 「自分が嫌いだってことにこだわって、自分に怒鳴り散らかしている自分を俯瞰してご覧」  それを言われて、ふと思い出したのはかんしゃくを起こした時の父でした。父は結構怒鳴る人だったんですが、それ

捨てると気持ちが軽くなるもの

こんにちは。皆さんが捨てたものには何がありますか?  大事だったぬいぐるみ、アイデアを書いたメモ、元カノの写真……。  人間の成長は必ず得ると同時に何かを捨てるものです。だから、捨てることを恐れてはいけないのです。それこそ、精神的な幼さが捨てられることで人間は大人へ近づくのであり、未熟というのは成長のための捨て代と言えるかもしれません。  ただ、私を含めた多くの人が陥りがちな現象として”未熟さ”を守るためにプライドを捨ててしまうことがあります。これはよくない。  極端な例が「私はダメな子だから」という言い訳をしながら犯罪をする人間です。それはプライドと同時に未来をも捨てています。しかし、このような現象に陥っていることに気づくのは難しい。そして、気づいたとしても抜け出すのは至難の業です。  ”未熟さ”は免罪符にもなります。しかし、いつかは捨てないといけないものです。それを踏まえたうえで、今、自分はどれくらい大人に近づけているのか考えてみましょう。……凄く苦しいかもしれませんが、それが今のあなたかもしれません。

苦手なことに挑戦する時の自分ルール

私は苦手なことから逃げようとするタイプなので、苦手なことに取り組む時ほど、退路を断ちます。極論、私は好きなことでも面倒になってくると逃げてしまうので、好きなことですら退路を断ちます。  例えば、趣味で小説を書くのですが作品を書くときは基本的に誘惑になるものを持っていない状況...

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