限られた時間だからこそ
- kyarikakuhamamatu
- 7月16日
- 読了時間: 2分
私はあと何年、生きられるのだろうか。
人の名前が覚えられない。文字が読めない。自分が今何をしているのか、数分後には忘れてしまう。
やかんを火にかけたまま、お湯を沸かしていることを忘れて外出してしまったこともある。バイクを路上に停めたこと自体を忘れ、そのまま違反切符を切られたこともあった。
まるで認知症になったかのように記憶が抜け落ち、日常生活は次第に成り立たなくなっていった。
家族との関係も、友人との付き合いも、仕事も、何もかもがうまく回らない。それでも周囲からは「性格の問題」「努力不足」と片づけられ、責められることが少なくなかった。
しかし、病気による症状は気合いや根性で簡単に矯正できるものではない。社会が求める「普通」に合わせようとすればするほど苦しくなり、私は長い間、その現実にもがき続けた。
当時は、このままでは三十歳まで生きられないのではないかと、本気で思っていた。
あれから六年が過ぎた。
心身の状態は当時より確実に良くなった。それでも、発症前とまったく同じ自分には戻れないとも感じている。
だからこそ思う。
人生は、自分が思っているよりずっと短い。
自分の体が思いどおりに動き、やりたいことに挑戦できる時間は、決して当たり前ではない。それは失って初めて、その貴重さに気づくものなのかもしれない。
未来がどれだけ残されているかは誰にも分からない。
だから私は、限られた時間だからこそ、やりたいことを先延ばしにせず、一日一日を大切に生きていきたい。いつ人生が終わっても、「やれるだけのことはやった」と思えるように。

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