文章を書く才能
- kyarikakuhamamatu
- 5月11日
- 読了時間: 3分
こうやってブログの仕事をしていると思うことがある。文章を書くのが難しいと言う人が多いのはなぜだろうと。
ぶっちゃけたところ、自分も文章を作るのは得意ではない。意地悪な言い方だが、文章のもととなるアイデアを作るのは苦手だ。だから、ブログを書く時は必ず「どんなブログが欲しいですか?」と職員に尋ねている。そういう意味においては、自分なんてブロガーになる素質はない。
ただ、何か書きたいことが定まれば書くことはできる。それが才能だと言われることは多い。だが、私は単純にそうだとは思えない。なぜなら、自分の意見を持つことは誰にでもできるからだ。
むしろ「自分の意見を持っていない人間がいるのか?」と尋ねたくなるくらいだ。誰だって「今の政治をどう思いますか?」と尋ねられれば何かしらは答えることが出来るだろう。それがたとえ、鼻で笑われるような内容であったとしても。
自分なんて、それをただ文字に起こしているだけだ。そこに才能なんていらないと思う。まぁ、実際はそうじゃないのも知っている。政治に対して意見を言うのにも政治の知識がないと厳しい。それと同じようにブログを書くには日常全般に対する知識が必要である。
……要するに、知識がなければ意見なんて持つことすらできない。だからと言って、知識があれば何でも言えるかというとそうでもない。知識があるからこそ見えない世界がある。感性の世界に入っていくためには、知識を捨て去る必要がある。その調和を取ることは難しく、自分もいまだに成し遂げられていない自信がある。
まぁ、難しいことを考える前にまずは知識を得るのが大事なのだ。別にたいそうな知識を得る必要はない。フェルマーの最終定理について……とか固くなる必要はない。むしろ、文章を書きたいなら小さな気づきでいい。
最近、私が見て笑ったものを一つ紹介しよう。「わたるな」の標識に落書きされていたのだ。では、どのように落書きされていたか。
……「ねだるな」だ。「わ」をくるっと曲げて、濁点を付けただけである。だけど、一本取られたなぁと思った。案外、大事なのは遊び感覚である。小さい労力で面白いと思わせること。又は小さい労力で便利だと思わせること。それが、文章を書く上で大事な感覚だ。
そう考えると身近な「これ、いいな」へのセンサーが活発化するようになる。そうやって一歩ずつ文章を書く種を作ればいい。文章を書くのは、最悪、出まかせを口からでなく、そのまま文字にしてしまえばいい。綺麗に直すのはAIでもできる。
そんな気持ちで、ブログをしたためる今日この頃。……これでも本当に、あなたは文章を書くことが才能だと思うだろうか。

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