外国人と関わる上で大切にしていること
- kyarikakuhamamatu
- 5月6日
- 読了時間: 3分
今週、ネットで知り合って二、三年になるアメリカ人の友達と初めて会う予定だ。
今までネットの友達とは何人も会っているのだが、今回は岐阜県の観光案内を頼まれているので割と緊張している。どうなることやら。
さて、今までたくさんの外国人とかかわってきたが、もちろんいい思い出ばかりではない。
中には怒らせてしまいそのまま絶交になったケースなどもあり、苦い経験として教訓にしている。
今日はそんな私が外国人と関わる上で大切にしていることについて話したい。
①エポケー(判断保留)
正直、これに尽きる。
外国人と深くかかわることができるかどうかは、この「エポケー」ができるかどうかで決まると言っても過言ではない。
エポケーとは、相手の考えに理解や共感ができるかどうかとは別に、まず「そうなんですね」と判断を保留したまま受け止める態度のことである。
少し極端な例を挙げる。
10年ほど前、語学系の専門学校に通っていた私はその他日本人数名とともにインドネシア人の留学生を連れ、静岡県内のさる観光地にやってきていた。
昼ご飯を食べようと入ったその辺の売店で、まさかあんなことが起こるとは思っていなかった。
焼きそばか何かを買って帰ろうとしたとき、店員のおばさんが突然話しかけてきた。
「あんたら、イスラム教徒か」
ヒジャーブを被ったインドネシア人の女の子たちがきょとんとしていると、
「アタシはね、ムハンマドとかイエス・キリストとか、そういうのはみんな詐欺師だと思ってるんだ!」
その後、彼女は何やら一人でヒートアップしていたが、こちとら一同もう絶句ですよ。急いで逃げました(苦笑)
後になってから考えたのだが、彼女はおそらく「悪気がなかった」のではないかと思う。
彼女の世界観ではイスラム教徒という存在自体が矛盾に感じられ、ただ自分が思ったことをそのまま口に出しただけなのだろう。
実際、イスラム教徒が国民の9割以上を占める国の方とお話ししたとき、私が無宗教であると言ったら「いや、そんなのはありえない」とお説教されてしまったこともあるので、結局やっていることはどちらも同じである。
つまり、何が言いたいかというと、人間はみんな自己中心的に自分自身の価値観が絶対だという確信をもって生きてしまいがちなのだが、ほかの国の人と話すとそうした何気ない「常識」に基づく発言や行動が相手を傷つけたり、怒らせたりする可能性があることを頭の片隅に入れておく必要がある、という話だ。
これができないと常に上記のようなことでケンカになって消耗することは間違いない。
……とはいえ、現実社会を広く見ていると、エポケーなんてする気もないという人の方が多い感じもする。だから戦争が絶えないのかしら。



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