優しさが面白さに変わる、友人にジャニオタ実話
- kyarikakuhamamatu
- 7月17日
- 読了時間: 2分
友人は、ジャ二ーズのお気に入り全員の誕生日を祝う。
しかも、「推しの誕生日」ではなく「推し´全員´の誕生日」だ。
その日になると、小さなケーキを買い、部屋の片隅でそっと写真を撮り、
「今日も生まれてきてくれてありがとう」と静かにつぶやく。
その姿はあまりにも自然で、まるで毎日違う親戚の誕生日を祝っているかのようだ。
私は思わず心の中でつぶやく。
「あなた、推しの戸籍を管理してるの?」
しかし、ケーキを前にした友人の真剣な表情を見ると、ツッコミを飲み込んでしまう。
あまりにも尊くて、邪魔をしてはいけない気がするのだ。
コンサートの日、チケットが取れなかったこともあった。
普通なら落ち込むところだが、友人は違う。
「中に入れなくても、外で歌を聴けるから十分幸せだよ」
そう言って、会場の外で風に乗って届く歌声に耳を澄ませていた。
その姿は、もはや´推しの守護霊”と呼んでも差し支えない。
会場の外でそっと目を閉じ、音に集中するその表情は、
中に入れなかった人のものではなく、
むしろ「外で聴くのが正解だったのでは?」と思わせるほど満ち足りていた。
そして、コンサートに入れない日でも友人は会場へ向かう。
目的はただひとつ、グッズを買うためだ。
「推しが頑張ってる日に、何か形に残るものを持ち帰りたいんだよね」
そう言って、うちわやペンライトを大事そうに抱えて帰ってくる。
その姿は、遠足帰りの小学生とほぼ同じ構図で、
見ているこちらまでほっこりしてしまう。
家に帰ると、丁寧に袋を開け、宝物を扱うようにそっと並べる。
その一連の動作があまりにも慎重で、
「それ、国宝?」と聞きたくなるほどだ。
友人の優しさは、時に面白く、時に尊く、
そしていつもどこか健気で、見ているこちらまで温かい気持ちになる。
推しへの愛情が、こんなにも穏やかで、こんなにも面白い形で表れる人を、
私は他に知らない。

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